金銀花は夜に咲く(60)「涙分かつ者達」その2
赤荻はうつ伏せの男の顔が朱雀に見えるように、少し上を向かせた。泥まみれの顔は春日根であった。
「中身だけ、逃げたのか」
「その様です」
「丁重に葬ってやれ」
「はい」

朱雀の背中の上で老婆が言った。
「まだ、助かるぞえ」
「本当ですか、雪火様」
「嘘を言って何になる」
「ご無礼を」
「その男をワシの屋敷まで運べ」
赤荻は朱雀の命令を待つ事なく、春日根を背に担ぎ上げた。背広が泥だらけになったが、表情を変えなかった。朱雀が言った。
「思わぬ残業になったな。戻ったら特別ボーナスを支給しよう。背広一着分でいいかね」
「ありがとうございます」
赤荻が極端な清潔好きである事を朱雀は知っていた。
「急げ、急げ。時が経つほど難しくなるぞ」
朱雀の背の上から、老婆が怒鳴った。

群青の家の土間に入ると、出て来た下男が驚いて叫んだ。
「雪火様、お怪我でもされましたか」
朱雀は丁重に背中から雪火を下ろした。
「馬鹿者、それより神那(かんな)を呼べ」
下男は再び奥へと引っ込んだ。
「気が利かぬ奴じゃ」
朱雀が微笑した。
「気の利く方もおられるようですが」
一人の若い女人が白い布を捧げ持って現れた。雪火に何処か似ている。
「お婆さま、お帰りなさいまし」
「孫娘の蘭火(らんか)じゃ」
「これは美しい」
朱雀は目が合うと蘭火に微笑みかけた。蘭火の頬が赤くなった。
「色気付いておらんで、さっさとやらんか」
慌てて蘭火は一段高くなった板の間に布を広げた。雪火は赤荻に言った。
「それを布の上に下ろせ」
「はい」
赤荻は春日根をゆっくりと布の上に横たえた。

初老の男を筆頭に数名の男が奥から走り出て来た。
「神那(かんな)、遅いぞ」
雪火は不機嫌な声で言った。男達は平伏した。
「お館様、お帰りなさいまし」
「挨拶はいい、これを奥へ運べ。すぐに手当てするぞ」
「ただちに」
男達は布ごと春日根を持ち上げると運び去った。老婆は朱雀を見てにやりとした。
「ひと風呂浴びていけ。蘭火に背中を流させても良いぞ」
「お婆さま!」
蘭火が叫んだ。

朱雀は湯の中で手足を思うさまに伸ばした。檜の湯船は広く、満たされた湯は柔らかく肌に心地良かった。
「朱雀様」
引き戸の向こうから赤荻の声がした。
「何だね」
「磐境(いわさか)様に連絡しておきました。真彦様には二星が付き添い、急ぎ病院へ。こちらの迎えには一棹(ひさお)が参ります」
「ご苦労、お前も汗を流せ」
赤荻のためらう気配がした。
「いえ、私は・・」
「何だ、私の背中を流してくれないのか」
「そういうわけでは・・」
「いいから入れ」

「失礼します」
朱雀の背中を手拭いでこすりながら、赤荻が消え入りそうな声で言った。
「あの・・朱雀様、どうかこちらをご覧にならないで下さい」
朱雀は笑った。
「そうか、お前は”外”で育ったからな」
「はい」
「村の”盾”の宿舎は大風呂だ。子供の頃からそれが当たり前だからな」
「申し訳御座いません」
「気にするな、これからはそういう奴が増えるだろう」


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# by menesia | 2009-11-02 13:41 | 小説(連載) | Comments(0)

金銀花は夜に咲く(60)「涙分かつ者達」その1
朱雀と赤荻の行く手にひとつの影があった。二人は立ち止まった。赤荻が身構えた。小柄な人影は敵ではなかった。夜風が皺枯れた声を運んで来た。
「騒々しい事よの」
雲間から現れた月が、後ろ手を組んだ小さな老婆の姿を照らし出した。朱雀は呼びかけた。
「群青の家の・・雪火(せっか)様ですか?」
群青とは『奴等』の侵入を阻む”壁”を管理する一族である。

老婆は腰を伸ばし、目の前の朱雀を見上げた。
「ほう、善衛(よしえ)のとこの長男坊か。随分と色男になったな」
「ここは危険です。お屋敷にお戻りを」
「ひよっこに心配されるほど、まだ耄碌しておらんわい」
老婆は朱雀の頭の先から爪先まで、無遠慮にじろじろと眺めた。
「それより、女遊びは程々にしておるか?お前は昔からモテたからの」
老婆は小指を突き立て、朱雀を見るとにやりと笑った。
「何をおっしゃます、お婆(ばば)さま」
さすがの朱雀も、子供の頃に世話になった老婆には頭が上がらなかった。軽口とは裏腹に、意味ありげな視線と共に、老婆は顎をしゃくった。その示した先の地面に何かがあった。闇をも見通す朱雀の目には、倒れ伏す人であると解った。後ろに控えていた赤荻に軽く手を振ると、赤荻は頷いて調べに走った。

二人きりになると朱雀は言った。
「お婆さま」
「何じゃ」
「お婆さまも、我らと同じ道を・・」
老婆は肩をすくめた。
「今時の若者は辛抱が足りないからの。楽隠居は当分無理だわい」
老婆は再びにやりと笑い、朱雀を見上げた。
「たまには遊びに来い。良い男を見ると寿命が延びる」
朱雀は老婆の前に跪いた。そして老婆の痩せた手を取り、恭しく口付けた。
「『奴等』の援軍を阻止して下さって、ありがとうございます」
「気付いておったか」
「”壁”の穴を塞いで下さいましたね」
「”壁”を護るは我らの役目、そうそう穴を開けさせてたまるものか」
「ネズミ一匹分だけですね」
老婆はじろりと朱雀を見た。
「今も口の減らん奴だの。負けたネズミの逃げた穴は、すぐに塞いだわ」
朱雀は跪いたまま、老婆の手を両手で暖かく包んだ。
「感謝しております、お婆さま」
老婆の皺だらけの頬がほんのりと朱に染まった。
「本当かえ?」
朱雀は老婆の目を覗き込んで微笑した。
「はい」
老婆は満足そうに頷いた。
「では、屋敷まで背負って行ってくれんかの。さすがに堪えたわ」
「仰せのままに」

「朱雀様」
倒れた人の横に屈みこんでいた赤荻が叫んだ。
「今、行く」
朱雀は老婆の方に背を向けた。
「どうぞ、お婆さま」
老婆はひょいと身軽に朱雀の広い背中に飛び乗った。



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# by menesia | 2009-10-08 00:03 | 小説(連載) | Comments(0)

僕は僕、キミはキミ
遠い空が蒼過ぎるから
不安にかられてしがみついた
僕の身体は冷たくてキミの身体も冷たくて

ギリギリの世界には風さえも通り過ぎてしまう
入り込めない心の隙間に無理矢理詰め込もうとした
約束があふれ出して逃げ出してしまった世界に

生きる事は辛いなんて後ろ向き過ぎるから
だけど真っ直ぐに歩くなんて粋がり過ぎているから

自分の足で自分のペースで僕は歩いて行くんだ
僕は誰の代わりでもなくて
キミは誰の代わりでもなくて

僕は僕、キミはキミ

昨日や今日そんなもの気にせずに僕は歩いて行くんだ
僕は誰の代わりでもなくて
キミは誰の代わりでもなくて

僕は僕、キミはキミ


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# by menesia | 2009-10-03 16:26 | | Comments(0)
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